メルマガ 第156号 日産自動車
今回は、東京モーターショーで「GT-R」を発表した
『日産自動車』
を取り上げます。
2002年8月。排ガス規制をクリアできずに、止むを得ず生産終了となった「GT-R」。
今年、「GT-R」が5年ぶりに復活しました。
2001年10月の「第35回東京モーターショー」に「GT-R コンセプト」を出品、「GT-R」の開発が発表されて以来、6年目にしてようやく発売される事になりました。
2005年の「第39回東京モーターショー」では「GT-R PROTO」が出品され、期待が膨らんでいましたが、10月24日から開催された「第40回東京モーターショー」において、ついにその全貌が明らかにされました。
日産 GT-R
http://www2.nissan.co.jp/GT-R/
Nissan GT-R
http://www.gtrnissan.com/
「GT-R」の様に「日産」の歴史も紆余曲折です。
「日産」の前身は、2つの会社が始まりとなります。
ひとつは明治44年に東京で設立された「快進社自働車工場」。
ひとつは大正8年に大阪で設立された「実用自動車製造」。
いずれも自動車産業の創成期に誕生した会社でありますが、第一次世界大戦後の世界不況と関東大震災後の不況のあおりを受け、また、輸入車の攻勢もあり、経営状況は良くありませんでした。
大正15年。両社は合併し、「ダット自動車製造」が誕生する事になります。
しかし、その後、「戸畑鋳物(現在の日立金属)」の鮎川義介により会社の株式の大半が買われてしまいます。これにより「ダット自動車製造」は「戸畑鋳物」の傘下となってしまいました。昭和8年。「戸畑鋳物」は「ダット自動車製造」を完全に吸収し、「自動車製造」として再スタートを切る事になります。これが現在の「日産自動車」の始まりとなります。
この鮎川義介という人物は、後に「日産コンツェルン(現在の日産・日立グループ)」を作り上げる実業家であります。
鮎川の義弟の久原房之助が経営する「久原鉱業」は経営破綻状態でした。昭和3年。久原房之助の後を継ぐ形で鮎川は「久原鉱業」の社長に就任します。
鮎川は、社名を「日本産業」に変更、事業を拡大し、「日産自動車」を始め、「日本鉱業(現ジャパンエナジー)」、「日立製作所」、「日産化学(現日産化学工業)」「日本冷蔵(現ニチレイ)」、「日本油脂(現日油)」などを傘下に持つ日産コンツェルンを形成するまでになります。
「日産」の名前は、この当時の親会社であった「日本産業」の社名に由来していて、「日本産業」を略して「日産」とし、「日産自動車」としています。
しかし、この「日産自動車」の名前もすんなりと固定せず、昭和9年に「日産自動車」へ社名が変更されるのですが、第2次世界大戦終結直前の昭和19年には「日産重工業」に変更されてしまい、戦後の昭和24年に「日産自動車」に戻されています。
■ 沿革 ■ ----------------------------------------------
1911年(明治44年)
快進社自働車工場を設立する。
1919年(大正8年)
実用自動車製造株式会社を設立する。
1926年(大正15年)
実用自動車製造株式会社と合資会社ダット自動車商会(快進社自働車工場)が
合併し、ダット自動車製造株式会社が誕生する。
1931年(昭和6年)
戸畑鋳物株式会社(現在の日立金属)の傘下となる。
1933年(昭和8年)
自動車製造株式会社を設立する。
1934年(昭和9年)
日産自動車株式会社に社名を変更する。
1944年(昭和19年)
日産自動車株式会社から日産重工業株式会社に社名を変更する。
1949年(昭和24年)
日産重工業株式会社から日産自動車株式会社に社名を変更する。
■ 企業データ ■ ----------------------------------------
正式社名 日産自動車株式会社
住所 〒104-8023
東京都中央区銀座6-17-1
電話番号 03-3543-5523
URL http://www.nissan.co.jp/
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【関連リンク】
日産自動車の社名の由来
