麒麟麦酒

【由来】
「キリンビール」を漢字で書けますか?

「麒麟麦酒」と書きます。

普段、目にするのは、「キリン」や「キリンビール」などカタカナが多いかと思いますが、正式名称は漢字で書くます。

さて、「麒麟麦酒」の株式会社としての設立は1907年(明治40年)のことですが、発祥となると40年程遡ることになります。

その当時は、まだ国産ビールというものがなく、全て輸入品でした。しかし、価格も高く、また、日本への輸送に日数がかかり、品質も悪いものでした。そこで、一人の外国人がビールの国産化に立ち上がりました。ウィリアム・コープランドです。彼は、ドイツ人の醸造技師のもとで、5年間ビールの醸造法を学んだこともありました。

横浜山手に醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」を開設し、ビールの国内生産を始めます。しかし、共同経営者とのトラブルなどで、事業は失敗し、1844年(明治17年)に倒産する事なります。

その後、長崎のグラバー低で知られるトーマス・グラバーが、コープランドの後を継ぐ形で、「ジャパン・ブルワリー」を興し、ビール事業に乗り出す事となりました。これが現在の「麒麟麦酒」の前身となります。この時、「王子製紙」の創設者である渋沢栄一氏も資本参加し、株主のひとりとなっています。

グラバーは、同じ横浜山手に最新鋭の醸造所を建設し、ビールの生産を開始しまた。販売は、明治屋が一手に行うことになりました。

当時、海外のビールの製品ラベルには動物がよく使われており、そこにヒントを得て、古代中国で生まれた空想動物で、縁起がよいとされる聖獣「麒麟」を採用し、「キリンビール」の商標が明治屋によって作られました。

しかし、この時は製品ラベルは今と違い「麒麟」のデザインが小さく何の動物かわからず、評判は良くありませんでした。翌年すぐに、現在に通じる麒麟が空を駆けるデザインに変更されました。グラバー氏の発案によるものです

1907年(明治40年)に、経営が外国人から、日本人の手にゆだねられる事になり「麒麟麦酒」が誕生することになりました。
会社名はもちろん商標である「麒麟麦酒」に由来しています。

1954年(昭和29年)にビールシェア首位となり、ピーク時の1976年にはシェアが63.8%と圧倒的な地位を築きましたが、1987年(昭和62年)に発売のアサヒの「スーパードライ」の大ヒットにより、2001年(平成13年)にアサヒビールにシェア首位(ビール類)を奪われてしまいます。

しかし、発泡酒(麒麟淡麗)と第三のビール(のどごし生)ではシェアトップを維持しているため、2009年(平成21年)には9年ぶりにビール類のシェア首位に返り咲いています。

2007年に持株会社への移行により、現在の「麒麟麦酒」は、「キリンホールディングス」傘下のビール、発泡酒の製造メーカー「麒麟麦酒」となっています。


【沿革】
1870年(明治3年)
ウィリアム・コープランドが横浜山手に「スプリング・バレー・ブルワリー」を開設

1885年(明治18年)
トーマス・グラバーが「ジャパン・ブルワリー」を設立

1888年(明治21年)
「キリンビール」の発売開始

1907年(明治40年)
「麒麟麦酒」設立。「ジャパン・ブルワリー」の事業を継承

1954年(昭和29年)
ビールのシェアが業界首位となる

1998年(平成10年)
発泡酒「麒麟淡麗」を発売

2005年(平成17年)
第三のビール「キリン のどごし〈生〉」を発売。

2007年(平成19年)7月1日
純粋持株会社制に移行する。「麒麟麦酒(旧)」から「キリンホールディングス(新)」に社名を変更。
「キリンホールディングス(旧)」を「麒麟麦酒(新)」に社名を変更。「麒麟麦酒(旧)」から酒類事業を移管する。


【会社概要】
正式社名   麒麟麦酒株式会社
カナ表記   キリンビール
英文社名   Kirin Brewery Company, Limited
本社住所   〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-26-1
電話番号   03-5540-3411
業種     食料品
公式サイト  http://www.kirin.co.jp/
株価     2503 キリンホールディングスの株価
 






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